15 5月

「光り輝く希望の星に導かれ、すべて与えられし可能性に生かされて」

人は自分の価値観で、言い換えるならば、自分の人生の中で培われてきた考え方で隣人を観察したり、評価したりするところがある。
そのようなことができる人間が本来存在するのかと私は思うが、結論から言わせていただくと、『い・な・い』。
学問の世界では、人間が「物化」されて研究の対象とされる。それはどこまで研究されても、仮説又は仮定ではじまり、仮説又は仮定でおわる限界ある試みである。
私が深い落とし穴に落ちて、暗闇の中で、自分を見失う時がある。それは、隣人や仲間がとこしえにかわることのない可能性(⇒無条件の愛)におかれた人間として創造された存在であることを忘れてしまい、自分の所有物として、「物化」する。つまり、閉鎖的で自己中心的な愛の中に閉じ込めてしまう「時」である。
どんなに暗闇の中にいても光り輝く希望の星に導かれて生かされている存在が人間であることを忘れてはならない。